2026年2月10日

鬼門に春を呼び込む節分会

「鬼門」を守る裏方として

世間一般では節分といえば「豆まきイベント」としての側面が強い節分ですが、ここ寛永寺においては、少し意味合いが異なります。

江戸の「防衛ライン」を預かる責任

ここがただの観光地でも、単なる菩提寺でもないということです。 ここは、本来、徳川将軍家の祈願所であり、何より「江戸城の鬼門(北東)」を封じるために設計された、巨大な霊的要塞なのです。

慈眼大師天海大僧正(じげんだいしてんかいだいそうじょう)が、この上野の台地に寛永寺を創建された意図。それは、京都の御所を比叡山延暦寺が守護したのと同様に、江戸という都市にあらゆる災いが入り込まないよう、北東の方角から睨みを利かせることにありました。

つまり、寛永寺は江戸(現在の東京)における「防衛の最前線」なのです。

節分とは、季節の変わり目に生じるとされる「邪気(=鬼)」を払う行事です。 一般のご家庭での豆まきが「家内安全」を意味するならば、私たち寛永寺が行う節分会(せつぶんえ)は、「東京という大都市全体の安全」を願うための重要な行事であると言っても過言ではありません。

歴史の証人としての建物たち

少し話は逸れますが、節分で賑わう境内で、ふと建物に目を向けてみてください。

寛永寺は、幕末の動乱でその敷地の多くを失い、一時は廃寺同然の危機に瀕しました。 しかし、多くの先人たちの尽力によって復興し、今こうして皆様をお迎えできています。柱の一本、瓦の一枚に、激動の歴史と、それを守り抜こうとした人々の想いが刻まれています。 職員として建物に触れるたび、私たちは単に「古い建物」を管理しているのではなく、「江戸から続く記憶」を次の世代へ手渡すバトンリレーをしているのだと実感します。

都心にありながら、これほどの静寂と緑、そして数百年にわたる「守り」の歴史が息づく場所は、そう多くはありません。 歴代将軍がお眠りになっているこの土地は、地盤の強固さだけでなく、精神的な意味でも「絶対に守られる場所」として選ばれました。その歴史のバトンを受け継ぎ、時代が明治、大正、昭和、平成、令和と変わっても、ここにあるお墓や御堂が荒れることのないよう、雨の日も風の日も守り続けてます。

立春、そして桜の季節へ向かって

豆まきが終わり、参拝者の皆様が三々五々、帰路につかれます。 祭りの後の境内には、独特の清々しい空気が流れます。 2月3日は立春。 暦の上では、もう春です。

上野の山は、これから劇的な変化を迎えます。 今はまだ枯れ木のように見える桜の木々も、内側では着々と開花の準備を進めています。あと一ヶ月、二ヶ月もすれば、この静かな境内は薄紅色の雲に覆われ、世界中からのお客様で溢れかえることでしょう。これからは「桜の季節」に向けた準備に入ります。 一年で一番忙しく、そして一番華やかな季節の到来です。

節分で鬼(厄)を払い、心身ともにクリアになった状態で、美しい春を迎える。 これ以上の喜びはありません。

結びに

寛永寺は、敷居が高いお寺だと思われがちです。 歴史の重みや、「徳川家の菩提寺」という肩書きが、そう感じさせるのかもしれません。ですが、普段の静寂に満ちた寛永寺もまた、格別の趣があります。 境内から、ただぼんやりと庭を眺める。お線香の香りに包まれて、深呼吸をする。 そんな贅沢な時間の使い方ができるのも、上野の杜の奥深くに位置する当山ならではの魅力です。

もし、上野公園へ遊びにいらした際は、動物園や美術館のその足で、もう少しだけ奥へ、この寛永寺まで足を延ばしてみてください。 そこには、江戸の昔から変わらずにこの街を見守り続けてきた、静かで力強い時間が流れています。

春の兆しと共に、皆様のご来寺を心よりお待ち申し上げております。

〒110-0001 東京都台東区谷中7-1

TEL:



0120-353-257

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