梅の実と新緑の季節に ― 六月に感じるいのちの息吹


六月と申しますと、まず心に浮かぶのが「梅の実」でございます。
梅の花は、春まだ浅い二月頃に静かに咲き始めますが、その花が散ってから三か月、梅雨入りの頃には立派な実をつけて、私たちの目の前に姿をあらわします。
毎年、梅の実がなってまいりますと、近くのスーパーや八百屋では梅干しや梅酒を漬ける青梅をよく見かけます。
あの酸っぱくもしょっぱい梅干しも、元はといえば小さな白い梅の花から始まります。何かを「実らせる」というのは、すぐには結果が出ずとも、見えぬところで時が満ちるのを待つことなのかもしれません。
まさに仏教で説かれる「種熟脱(しゅじゅくだつ)」――
種をまき、水をやり、陽を浴び、時を経て、ようやくひとつの果実となる。
この梅の姿は、日々の私たちの生き方に重なって見えるようにも思います。
そして、梅の実と同じく心を和ませてくれるのが、新緑の木々でございます。
春先の淡い黄緑が、梅雨を迎えるころにはしっかりとした緑へと姿を変えます。
その葉が風にそよぐ音――木々がささやくように感じることもあります。

『法華経』に、「雨はすべての草木に等しく降り注ぐ」とあります。
人もまた、よいときばかりではなく、雨のように静かに試される時期がある。
そのひとしずくひとしずくが、やがて私たちの心を育ててくださるのかもしれません。
梅の実のように、静かに時を重ねて実るもの。
新緑のように、太陽に向かって伸びるいのち。
梅雨の雨のように、すべてを包み育むもの。
六月は、そうした「いのちのめぐり」が目に見えるかたちで現れてまいります。
だからこそこの時期には、日々の中にあるありがたさやごはんが食べられること、呼吸ができること、大切な人が今日もそばにいてくれることそんな「当たり前」に、もう一度手を合わせたくなるのです。
どうか皆さま、今月もお健やかに